分岐点

親鸞聖人の750回大遠忌、来たる1月16日が祥月命日にあたり、本願寺では約半年かけて行われてきた法要もいよいよ千秋楽。善巧寺でも例年どおり御正忌として法要が勤まり、本堂修復工事を終えた翌年、平成25年の秋に750回大遠忌法要をお勤め致します。

私が住職を継職して15年が経ちました。その間、もの凄いスピードで時代は流れ、家族や地域の在り方をはじめ、ものの考え方自体が大きく変化し、それは葬儀や法事の在り方にまで影響を及ぼすようになりました。お寺も効率化、簡略化が進行しました。よくよく考えると、それらは、外部からやってきたものではなく、自分自身の都合や怠惰とも合致していたことに原因があったと気付き、言葉を失います。時代によってどんなに価値観が変化しようとも、変わらないこととはなんでしょうか。

今頃言うておるのかとお叱りを受けそうですが、ひとつひとつを丁寧に、心を込めて、大切に勤めていく意外に人と深く繋がっていく道はないのですね。楽をしたいだけの効率化からは何も生まれないと痛感します。違う言い方をすれば、「後悔しない人生」を送りたいです。

そういう意味でも、親鸞聖人の750回大遠忌は、またとないチャンスであり、大きな分岐点と受け取ります。すでに、何度も同じ過ちを繰り返してきているので、スパッと変わる自信もなく、大きなことも言えませんが、「みんなのお寺」である限り、引き続き、皆さまのお育てを頂きたくよろしくお願い致します。

雪山俊隆(寺報142号)